そろそろ再整備しないとなぁ。
水が足りないよな。 生活用水も、だ。
数日前に投稿した以下記事の続きです。
いやはや、トンでもないブレイキングニュースだ。
大谷選手のおめでたいニュースに水を差すどころか、選手生命もあやうくなる一件ではないか。
上記投稿で、俺ちゃンは以下のように書いた。
自分のものでなくても、目の前にあったら手が出る、それがお金だ。
全くその通りのことが起きたといえよう。
そして「知られてもいけない」と書いたが、有名人の場合はそうもいかない。
おっそろしいことだ。
少し古い話だが、東北震災について論評したアーティクルの中で、「(財産なりなンなり、)『持っていないこと』の重要性が明らかになった」というのがあったように記憶している。
当時は、「そうは言っても、何も持っていないと、社会生活を営むのが難しいよな」と思った。
しかし今、年を経て理解できたのは「備えがあること」は、必ずしも「裕福であること」と一致しない、ということだ。
お金があっても備えていないことは往々にしてあるし、裕福でなくても、災害などに備えている人もいる。
今回の一件とは乖離がある話だが、まぁそういうことだ。
見てきた。 昼寝(?)のために遅い時間帯になり、吹き替えではなく字幕版を観劇した。 そこそこ聞き取れた気がしたw
現代のCG技術がなければ、この作品の映像化は無理だと改めて感じた。 ものすごい迫力の映像に痺れた。
まぁ、スゴい作品だよな。 前作ほどの凝った演出はなかったが、それでも大叙事詩をうまいことまとめてオチをつけたと思う。 いくらでも批判はできるだろうが、それは作品の凄さに対する甘えであると思う。 みっともない評論は避けるべきだ。
もともと、中東やイスラム文化の影響を強く受けた原作を、さらにそのイメージに忠実に映像化したことは賞賛されて然るべきだと思うが、一方であらぬ誤解や、都合の良い解釈を生みはしないか、という懸念を感じた。
端的にいえば、イスラム世界や教義を礼賛していると思われはしないか、ということだ。
主人公が、虐げられた部族に加入し、やがて力を認められ、これを率いて仇敵を滅ぼし、そして世界を制覇するという筋書きは、貴種流離譚の典型例ではあるが、イスラムを感じさせる世界観で描かれれば、大イスラムが世界を制覇する、と都合よく解釈する者が多く現れるのではないか。
折しも、中東ではハマスとイスラエルとが(限定的とはいえ)戦争をしているわけで、思わぬ波及効果を与えはしないか、余計な心配をしてしまった。
なお、本ブログで前作の観劇メモを残していなかった。 日記によると2021/11/22月であった。 時が経つのは速いなぁ、2年4ヶ月か…
フィリピンで、母娘が親族に強殺された旨の報道がされている。
まだ確定ではないが、99%、そうだろう。 現地で不動産を購入するための資金を奪われ、殺された模様だ。
話は変わるが、巨額詐欺を働いた奴が捕まり、日本に送還された旨の報道もあった。
これは要するに、現地人に払う金が尽きた(逆にいえば、巻き上げられて無くなった)からだろう。 もう用がないから、次は日本に売ったわけだ。 一粒で2度美味しいって? このテの話では、とっとと本人が殺され、所持金がドロンしたという件もあり、現地人は金を引っ張る時間がじれったかったのだろう。 そうしてみれば、今回売られた奴は、殺されなかっただけでもマシかも。
まぁ、そういうことだ。 金を持っていることが知られたら、ダニが群がってくる。 親族であろうとも、お金に目が眩むのだ。 自分のものでなくても、目の前にあったら手が出る、それがお金だ。
だから、誰にも知られてはいけない。 絶対に知られてはいけない。
お金があることが知られてしまう生活をしてもいけない(インフルエンサー? もってのほかだ)。
恐ろしい世の中だぜ。