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蔓延するコロナ禍

 もうどうしようもない。

 見えない毒が広がっている。 止めようがない。

 これは、人類が経験したことがない(あるいは久しぶりに経験する)事態だ。

 いわゆる軍事戦争のような、都市への実体的破壊行為を伴わないものの、社会生活に対する確かなダメージを与える事象である。 「確かな」どころではなく、短期的にも中長期的にも、経済に甚大な影響を及ぼす。

 今回の問題の大きな問題点は、このウィルスの人体への影響や挙動が明らかになっていない、という点に尽きる。

 ここにきてイタリアをはじめとした欧州、そしてイランにおける感染が急拡大しており、米国とてもそれに追随する形になっている(事実、非常事態宣言がなされた)。

 握手やハグをする欧州の生活習慣、そして食事の際に手掴みがあることが間違いなく起因しているだろう。 イスラム圏では、礼拝の習慣がある(平伏する姿勢をとる、すなわち地べたと濃厚接触である。 また寺院の柱を舐めることもあるらしい)。

 これらは今更どうしようもない習慣だし、止めろと言っても簡単にはやめられないから、このまま感染が拡大するだろう。

 なお中国や韓国は、大皿を共有して、また大声で喋りながら食事する習慣がある。 だから感染が拡大したのだろうと思う。

(これらからすると、日本は逆に、感染が拡大しづらい環境や習慣であると言える。 インフルや花粉のシーズンと重なったことも良い方向に働いたのではないかと考えられる)

 

 今回のウィルスは(中長期的な人体への影響はまだ明らかではないが、短期的には)感染したからと言って全数発症するわけではなく、また重症化率がきわめて高いということもない。 すると、以下のような生活をしていれば良いではないか、ということになる;

◯よく食べてよく寝て、さらに手洗いうがいを徹底する生活

 (感染しない、発症させない、発症しても重症化させない)

◯マスクをするなどの咳エチケットを心がけた生活

 (仮に自分がキャリアでも、他人に感染させない)

◯人混みを避ける日常生活

 (ウィルスから遠ざかる)

 …なンと云うことはない、3点目を除けば、一般的な日本の生活様式と、あまり変わらないではないか。

 

 また、検査について色々と言われているが、現実的な方策として、全数検査を実施しなかったのは、最善とは言わないまでも、次善の策として、より評価されるべきではないか、と思う。

 当たり前だが、検査をすればするほど、ヒット数が増える。 ヒットした人は医療機関に駆け込むため、じきに医療崩壊が起きる。 医療機関において他の患者やスタッフへの感染拡大も発生するだろう。 結果的に社会パニック必至だ。

 したがって、いたずらに全数検査をして、社会不安やパニックを惹起せしめるよりも、重症化した人を対象に検査及び治療すれば、それで良い、との結論になる。 なンとならば、多くの人は重症化しないのだから。

(勿論、自覚症状のない人が媒介者になる可能性はあるが、それでも「多くの人は重症化しない」なら、それで良いではないか)

 よって、上記の通り、今回の日本の対応は現実的だった(現実的である)ということになる。

(蛇足ながら、韓国は過去の経験に学んでいない。 韓国内で甲状腺癌の検査を奨励したら、癌と診断される人が増えて大騒ぎになった。 近藤誠の云う「ガンもどき」に右往左往したのだが、それを忘れたのだろうか。 いたずらに検査をしても意味がないのだ。 生産される物品の検査を盛んに行ったところで品質は向上しない。 逆に疑わしいものが拾いあげられることになり、品質は低下する。 これと同じである)。

 確かに、全数検査をして実情を把握するべきだ、という考えはある。 疫学的調査、実情把握には当然その方が良いに決まっている。 全数検査をしないことは、誤魔化しである、という意見も、その通りだろう。

 しかし、検査をしたとして、打つ手があるのか? 上記した通り、このウィルスが人体に与える影響がハッキリしていない中、診断だけしても意味がないではないか。 

 少なくとも、短期的には多くの人に影響がない/少ないならば、放っておけよ、というのが現実的な方策で間違いない。

 

 何れにせよ、このコロナ禍は簡単には収束しない。 日本国内では下火になるかもしれないが、WWでは年単位で続くだろう。

 そして現実には、高齢者の致死率が高く、基礎疾患がある人ほどさらに高いようだ。 まさに姥捨山ウィルスであり、WWで見た場合、人口動態に大きな影響を与えることになるのだろう。

 破壊行為位を伴う戦争ではないが、人口動態に影響を与えることで、社会の枠組みも否応なく、不可避的に、不可逆的に変わっていく。 この変化は、暗い影のスポットが当てられたところほど大きい。

 皮肉なことに、早々にコロナ禍が収束するであろう日本にはそのスポットがあまり当たらないから、またしても変化に乗り遅れることになる。 良いことなのか、悪いことなのか…。