崩れていく、というのは今日(こんにち)の価値観からすると、ということになるな。
客観的に見た場合、単に変化なのだが、現代を生きる我々を100年ぶりに襲った疫病は、高度化された社会システムを変化させるというよりも、根本から突き崩していると言える。
我々はコロナ禍に対する「土地勘」がなく、肌感覚でこの現象を捉えることができず、やり場のない怒りやフラストレーションをどこにもぶつけられないため、ストレスを溜め込んでいる。
(戦争については、戦後長い時間が経ち、経験した人たちが少なくなってしまったが、まだ世界のあちこちで紛争があるため、イメージはできる。 地震も災害も、実は定期的に起きている。 自衛隊の災害派遣も今では風物詩になっている位だ。 東北震災で津波・原発事故が起きたのがブランニューであった、というのは確かにある)
もどって、社会システムは、全体は不可避的に、また大部分は不可逆的にパラダイムシフトしていく。
物理現象に限らず「慣性の法則」が働くので、一般的には急激な変化は嫌われ、起こりにくいのだが、今回はこの疫病がそれを許さない。 何も言わせずに蹂躙していく。
そう、「破壊的創造者」「創造的破壊者」などのバズワードがあるが、コロナ禍は、正に「破壊者」as is である。
上位概念の話はさておき、経済活動が止まることにより、社会は正に閉塞する。 循環が多くのパートで止まり、干上がる人が増える。 月給取りとて例外ではなく、今は良くてもしばらく後に皺寄せが来る。
多くの人が収入源に悩まされるだろう。 企業は縮小しつつ、その体裁を保とうとするだろう。 潰れるところも出る。 その影響が周囲に波及する。 上記してきた通り、不可避的に新たな経済圏が形成されていく。 おこぼれに与れる人は少ないだろう。
そしていずれはコロナ禍が沈静化するが、その時どうなるか。
大きく揺れ戻して、元のシステムにもどるのか?
残念ながら、それはないだろう。
「縮小した経済状態でもやっていけた」というのが基準になり、切り捨てられた領域が再度、全て活性化することはないだろう。
いつ再度斯様な事態に襲われるかもしれないという恐怖に怯え、思い切った投資もできず、あらゆる活動が停滞し、パンデミックに関係しそうな娯楽は消失していくだろう。
(個人的に大嫌いはAKB商法は、まず復活しない。 ザマァみろである)
慣性の法則とコロナ禍による破壊とのせめぎ合いによって、どのような秩序が出現するのか。 我々をそれをリアルタイムで体験することになる。