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探すのも簡単じゃないよ、でも探すだけじゃ商売にならないよ

令和云々という団体名は…

 令和という言葉自体は良いと思うが、それを冠して、それこそ雨後の筍のように現れた団体は、怪しいものが多い気がする。

 そりゃ、全てが全て、ではないだろうけど、いかがわしさを感じる。

 

 90年代初頭のバブル崩壊後、「失われた30年」によってすっかり世相は荒れ、厭世観が蔓延している。 経済格差が広がったことは仕方ないが、とはいえ、心も教育も崩壊してしまった。

 その結果、怪しい連中が跳梁跋扈するに至っており、連中が顔を出すところは社会のあらゆるところに及んでいる。

 

 さて前置きが長くなったが、そういう連中の多くが、(本来は祝福される言葉である、)令和という新年号を冠しているように感じられる。

 

 ついぞ最近話題になった、詐欺的集金手法で馬脚を現した「納豆定食」商売はビジネス局面におけるその嚆矢だろう。 みっともない、なにがクラウドファンディングだ。

 無論、弁護する余地はあるかもしれない。 例えば、定食は無料だが、プラスアルファの課金を前提とした、いわゆるフリーミアムを想定していたのかもしれない。

 だが、そうだとしても、あまりにも杜撰な計画や、ミスリーディングさせてしまうプロモーションだったのではないか、という謗りは免れまい。

 したがって結論的には詐欺と言われても仕方がない。

 

 そして件の政党。 だいたい、トータルネーミングが滑っている。

 サムライの世の中がイヤで、明治の御維新があったのに、いまさら新撰組? そもそも、彼らはサムライですらない。

 歴史を学んでいない。

 今で言えば、いわゆる半グレの暴徒が、混乱に乗じて警察力を手に入れ、横暴なふるまいを行っていた、というのが実情である。 もちろん、フィクションの題材としては面白いさ。 しかし、現実は現実、である。

 サムライではない連中が、時流を読まず、サムライに憧れて流れに棹差し、挙げ句の果てに掃討された…それが現実である。

 そういう歴史上の遺物を自らの団体名に冠する時点で、お里が知れよう、というものだ。

 さらには「令和」を足している。 雨後の筍、便乗商法だ。

 名前だけで議論するのは何なので、政策主張とやらを見てみよう。

 首魁が都知事選に立候補したが、その理論は、トンデモないアカ理論だ。

 努力も苦労もせずに好きなことをやって貧困に陥っても、他の努力した大勢の人たちの納めた税金で安心して暮らせる、ということだ。

 一言、バカじゃないの?である。 ドンだけ共産主義マンセーなンだ?

 これまた、歴史に学んでいない。

 東西冷戦の結果、競争原理が働かない共産主義社会主義は崩壊したではないか。

 もちろん、人治の国が上っ張りとして社会主義を装う場合があるが、それは例外であって、ソヴィエトは崩壊し、その傘下の欧州諸国も右に倣え、となった事実を認識しているとは思えない。

 競争して上位に立つものがその分報われ、良い暮らしができる、というのが当たり前の考えだ。 いくら貧困層が増えたからと言って、これを否定する(それこそ流れに棹さす)者が、大勢の同意を得られるわけがない。 大多数は、普通に働いて糧を得ているのである。

 これまた、歴史は繰り返し、同じ結果になるのだろうな。