フと思い出した。
円山応挙が「足のない幽霊の絵を描いた」、それが現在の日本人の幽霊に関するビジュアルイメージを形成した、という認識・記憶があって、それを確認したくなった。
調べてみるとその記憶は正しかったのだが、アレレというのが2点あった;
(1)円山応挙は江戸時代中盤から後半の人
(2)応挙以前に、「足のない幽霊」を描いている人が存在した
…応挙は「足のない幽霊」をメジャーにした功績は確かにあるが、元祖ではない、というのが新たに得た知識であった。
さて問題は(1)である。
どこをどう誤認したのか、俺ちゃンは次のように記憶していた;
応仁の乱で焼け出された少女がおぼつかない足取りでフラフラと歩いていた。 幽霊がいるとすれば、まさしくあのような姿に違いない」と応挙が感じて、そのおぼつかない足を描かなかった。 それが足のない幽霊の始まりである。
…しかし、応挙は江戸時代中盤の人ではないか。 まったく時代が違う。
俺ちゃンのこの認識の元ネタはどこから来たのだろうか。