検索商売

探すのも簡単じゃないよ、でも探すだけじゃ商売にならないよ

騒ぎ過ぎだ

 まぁ分からぬではないが、有名人だから、ということで騒ぎ過ぎだ。 いつものことだけどな。
 今この瞬間に、その余の方々も疾病で幽冥境を異にしている。 誰しも等しく死を迎える。
 勿論、本人や遺された幼い子供達にとっては、100%の問題で、それは気の毒としか申し上げ様がないが、上記の通り、それはこの件に限ったことではない。
 100人の終末期患者がいれば、100の家族にもそれが訪れる。 その悲しみを秤にかけ、順序をつけることは、少なくとも俺にはできない。
 無論、社会的影響の大きさは違っているが、これまた頭記の通り、騒ぎ過ぎだ。
 その社会的影響の大きさを、価値にスリ替えて、あたかもこの件の死のみが重大事のように扱われることに激しく苛立ちを感じる。

 いつもながら、この件を殊更に安っポいコンテンツにして商売にしようとしていることが感じられ、嫌な気分になる。 マスコミにとっては(あるいは当事者家族にとっても)、それすら商売のネタなのだ。
 プライベートの切り売りもここまで来るのか。 浅ましさに身の毛がよだつ。

 また、イヤなことを書いておくと、「ざまぁみろ」とメシウマな人たちも居るだろう(この件に限らない。 骨肉の財産争いの渦中にあったり、憎悪渦巻く環境下であれば、そう思う、そう感じる人がいるのは当然である。 その妥当性は勿論別であるが)。
 この件に関して言えば、以前のゴロツキトラブルに巻き込まれた被害者や、婚外子の家族から、かように思われても仕方ないだろうし、もっともな感情だろう。
 さらにイヤなことを書いておくと、たかが「恋から」タレントである。 「見てくれが良いだけの銭ゲバ女」であると自らカミングアウトしている出自の人間が、なぜにこれほど持ち上げられるのか不思議でならない。

 そして世人の多くは、「この死を悼む自分ってステキ」と自己アピールしているだけではないのか。

 いっぽうで、誤診・医療過誤が問題になるかも知れないが、これまた、不可避的に発生することであり、当然、当人にとっては100%の問題だが、責めても仕方がない。 どのような名医とて誤ることはある。 勿論、気の毒で、その点については本当にそう思う。 特に、入院後の施術ミスについてはどうしようもない。
 かくいう俺も、家族を初期の診断ミスで失った経験がある。
 ただ、患者側が、自らセカンドオピニオンを求め、最初の誤診や見落としをカバーしている例も多々ある。
 したがって、こればかりは巡り合わせや時の運としか申し様うがない。

 …生と死の問題は永遠に解決しない命題だ。
 有限の生命というプラットフォームの上で、バックアップ不可能な意識というプロセスが実行されている限り、この問いに回答が得られることはないだろう。
 そして、生死じたいも、浅薄なコンテンツとして売り買いされ続けるのだろう。 俺はそれには付き合うつもりは一切ないけどな。