検索商売

探すのも簡単じゃないよ、でも探すだけじゃ商売にならないよ

教育環境の話

親が金持ちでないと、子供が良い大学に進学できない、ということが云われていて、事実そういった傾向があるらしい。
そしてこの事象に異論反論を唱える人も居るようだ。

しかし、俺は「悪かねェよ、別にそれでいいじゃン」と思う。
良い大学(学校)に進学できた場合のことばかりを取り上げて議論しているが、進学できなかった場合も多いと思う。 いや、むしろそのほうが大多数ではないだろうか。 いちいち例を挙げるまでもないが、金持ちの子供でも、成績の良い子もいれば、全然ダメな子もいる。 成績に限らず、性格だってそうだ。

つまり、財政的なバックアップがあるとはいえ、個々人・本人自身の努力による「競争の原理」が働く様になっているのだから、いいじゃないか、と思うのだ。 たしかに、環境が整っている事は大きいし、その効果を否定はしないよ。 でもね、いくらおカネを費やしても、本人の努力と才能とが掛け合わされなければ、良い結果は出ない。

さて、冒頭の「異論反論を唱える人」の本音は「親の既得権益を子供に相続させるのはズルい」という左翼的発想ではないだろうか。 意地悪かも知れないが、俺にはそう感じられる。

たしかに、財政的なバックアップによって環境を整え、社会的上位者になれるよう、教育を受けさせて進学させる、というのは、一種の既得権益の保存・継承と云えなくもない。
しかし、上述した通り、本人の努力あってのモノダネであり、競争の原理が働き、また落伍者も多数出るのだから、一定の公平性、一定の衡平性がともに存在しているように考えられる。 したがって、左翼的な「ズルい」という発想は失当であると考える。

江戸時代と比較してみれば一目瞭然だ。
士農工商というカーストによって生まれつき立ち位置が決まっていて、それを乗り越えることは極めて難しかった。
最上位のサムライカーストは、石高が決まっていた。 つまりハナから俸給は決まっていて、それを子供に渡して行く事ができた(まさに「御家大事」だな)。 農民も、田畑の広さは決まっていたので事情はあまり変わらない。
サムライカーストにおいては、御役目による増減はあまりなかったとも云われる。
仕事についてもほぼ代々親の仕事を継いで行くだけだった。
そして普請組であれば、仕事もせずにブラブラしているだけであった。
それでも生活は保証され、それを子供に残す事はできたのだ。 既得権益保存の最たるものだ。

カーストという言葉が出たので、本家インドの場合はどうか。 ここでは今でもカーストがあって、厳しく守られているそうだ。 この中には「泥棒のカースト」というのがあって、生業として泥棒しかやってはいけないそうだ。 しかし捕まったらひどく罰されてしまう。 なんじゃそりゃ!なのだが、そういう層から抜け出すことはできない。

…こういう状況から比べたら、現在の日本は、はるかに恵まれているように思える。
結局自己責任論に落ち着いてしまうのだが、自助努力できる余地が多々あるのだから、甘えるのはよせよ、と俺は思う。