これも書こうと思って書いていなかったことだ。
戦争というと、映画で見られるようなドンパチを想像してしまうし、実際にそうなのだが、それ以外にも、実質的に戦争、ということはある。
戦争は政治経済行為だ。 もちろん宗教・民族闘争という、どちらかというと感情的な軋轢から生じる場合もあるが、現代に至っては、ほぼ政治経済行為の一環だ。
そして社会インフラや施設が高度に発達した現状において、都市破壊や殺傷行為を行うのは現実的ではない。 その後の再建で儲けようとしても、市民は破壊によって疲弊し、力を削ぐことになるため、復興後の産業が隆盛しづらい。 つまりトータルでは経済効率が低い。
したがって、未開というか発展途上の地域でドンパチするわけだが、そのスキームにも限界が来たので、トランプは任期中に(宣言通り)戦争をしなかったわけだ。
この辺りはどなたでもご理解されている通りだ。
だが、そういった破壊を伴う戦闘を行わずとも、人の行動に制限をかけ、経済行為を縮小させることはできる。 つまり人の暮らしに攻撃を加えることは可能だ、ということが今回のコロナ 禍で証明された。 もっとも目論見通りだったのだろうが、その攻撃は奏功している。 実質的な戦争なのだ。
この戦争は、人民、市民に対するものだ。 こういう暮らしが当然であると洗脳されてしまっている。 そしてワクチン接種もしかり、だ(前提として、映画等エンタメにより「ゾンビや疫病に対して、注射なり解毒なりを得れば問題なし」と刷り込まれている)。
…不可避的に総体としての市民は負けていく。 俺ちゃンのような醒めた奴の数は少ないし、簡単に踏み潰されしまう、吹けば飛ぶような存在だ。 市民は一定の数に減るまで負け続ける。 つまり、窮屈な生活が当然であると洗脳・馴らされ、ずるずるワクチンという名の毒を終わりなく接種し続け、死ぬ数を増やす。
それが数年で終わるのか、それとも20年コースなのか。